広島東洋カープの守備職人、菊池涼介(きくち りょうすけ)選手。
その華麗な守備範囲と正確なスローイングは、今や日本球界の“守備の象徴”ともいえる存在です。
今回はそんな菊池涼介選手の家族構成と幼少期の野球にまつわるエピソードを、父親の証言をもとに詳しくご紹介します。
🔍️菊池涼介選手のプロフィール
項目 | 内容 |
---|---|
生年月日(満年齢) | 1990年3月11日(35歳) |
身長/体重 | 171 cm/71 kg |
血液型 | A型 |
出身地 | 東京都東大和市 |
出身校 | 武蔵工大第二高校 → 中京学院大学 |
所属 | 広島東洋カープ(背番号33) |
投球/打席 | 右投げ/右打ち |
ポジション | 二塁手(内野手) |
ドラフト年(順位) | 2011年(ドラフト2位) |
プロ通算年 | 14年目(2025年シーズン) |
主な実績 | ・東京五輪金メダル(2021年) ・ゴールデングラブ賞(二塁手)10年連続(2013~2022年) ・セ・リーグ最多安打(2016年) ・シーズン二塁手補殺NPB記録 535(2014年)および守備率1.000・連続無失策569機会(同) |
🏠 菊池涼介の家族構成まとめ
続柄 | 名前・情報 | 補足 |
---|---|---|
父 | 名前非公表 | 広島テレビに登場し、涼介選手の幼少期を語る |
母 | 名前非公表 | 家族を支えた温かい存在 |
兄 | 菊池 啓介さん | 涼介選手が憧れ、ついて回っていた存在 |
本人 | 菊池 涼介(1989年3月11日生) | 広島カープ所属・プロ通算10年以上のベテラン内野手 |
🧒 幼少期の原点は「三輪車で兄・啓介さんを追いかけた日々」
2024年に放送された「新春元気丸×PfP 若鯉たちの夢スペシャル」(広島テレビ)にて、父親がこう語りました:
「3~4歳くらいですかね。啓介(兄)が友達と学校に行くと、涼介は三輪車で後ろをついていってました。
そして公園で納得いくまで10分でも20分でもプラスチックバットを振ってから帰ってきてた。
近所では有名な話でした。」
まさに、“原点は兄の背中”。
少年・涼介にとって**兄・啓介さんの存在が「野球の入口」**だったのです。
🔥 菊池家が育てた「超努力型プレーヤー」
菊池涼介選手は、小柄ながら守備で日本代表まで上り詰めた「努力の象徴」。
その裏には、家族が自然に作った練習環境がありました。
- 遊び感覚で始まった素振りの習慣
- 練習を強制されず、“納得いくまでやる”スタイル
- 兄を真似ることで自然と技術を磨いていった幼少期
家庭の中にプレッシャーのない“自主性”の土壌があったからこそ、今の菊池涼介選手の姿があるのかもしれません。
🧒 少年時代の憧れと、父との思い出
菊池涼介選手がプロ入り前の1999年・小学3年生の夏。
当時の西武ドームで開催されたプロ野球オールスターゲームを、家族で観戦していたといいます。
東京・東大和市出身の菊池涼介選手にとって、西武ドームは「自転車で来れるほど近い球場」と話す馴染み深い球場でした。
当時特に印象的だったのが、試合前の「外野スタンドへの投げ込み」――
「(巨人の)二岡さんが投げてくれたボールを、父親が捕ってくれたんです。
今でも実家にそのボールがあります。」
あの日、左翼ポール際で見上げたフィールドに、自らがプロ選手として立ち、そしてホームランを放つ日が来るとは――
📝 まとめ:兄・啓介さんと家族が育んだ、菊池涼介の原点
ポイント | 内容 |
---|---|
兄の名前 | 菊池啓介さん |
野球との出会い | 啓介さんの登校を三輪車で追い、公園で素振り |
家族の関与 | 練習を強要せず、自然に野球好きに育てた環境 |
性格形成 | 自分で納得するまで努力する“芯の強さ”が培われた |
家族、とくに兄・啓介さんの存在がなければ、今の菊池涼介選手はいなかったかもしれません。
華やかなプロの世界にいながらも、公園でバットを振る一人の少年の心を今も持ち続けている――
そんな姿に、私たちは惹きつけられてやまないのです。

最後までご覧頂きありがとうございました。
⚾合わせて読みたい⚾
⚾引用⚾
akinomono.jp:菊池涼介選手の幼少時代の写真。三輪車に乗って近所の公園に素振りに行く
コメント