オリックス・バファローズの若き内野手、太田椋(おおた・りょう)選手。
華のあるプレースタイルや将来性が注目されている彼ですが、その活躍の裏には、家族の存在が大きく関わっていることをご存知でしょうか?
今回は、太田椋選手の家族構成やエピソードを通して、彼のルーツに迫ってみたいと思います。
🧾太田椋選手プロフィール
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 太田 椋(おおた・りょう) |
生年月日 | 2001年2月14日(24歳) |
血液型 | B型 |
身長 | 181cm |
体重 | 84kg |
出身地 | 大阪府羽曳野市 |
出身高校 | 天理高等学校 |
投打 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手(内野手) |
所属チーム | オリックス・バファローズ |
👨👦👦お父さんもプロ野球選手!父・暁さんの存在
太田椋選手の父・太田暁(おおた・さとる)さんは、元プロ野球選手。
1988年のドラフト6位で近鉄バファローズに入団し、1996年に現役を引退。
その後もチームスタッフとして残り、現在もオリックス・バファローズの打撃投手として現場に立ち続けています。
椋選手にとっては、小さな頃から「野球が生活の一部」のような環境。
試合の合間には京セラドームに足を運び、父の働く姿を間近で見てきたことが、プロ野球選手としての夢に自然とつながっていきました。
「お兄ちゃんがあまり野球に興味がなかったので、僕だけ自分の部屋でよく野球を見ていました」
と語る太田椋選手。
家族の中でも唯一、野球にどっぷりハマっていたというのも微笑ましいエピソードです。
🧳家族みんなで行く年末旅行が一番の思い出
太田椋選手が幼少期を振り返って、「一番の思い出」として語るのが、年末の家族旅行。
「年末に恒例だった家族旅行が、幼少期の父との一番の思い出です」
当時、父・太田暁さんはプロ野球選手として現役を引退後もチームスタッフとして活躍。
忙しい日々の中で、年末だけは家族とゆっくり過ごす時間を大切にしていたようです。
この旅行は、太田椋選手にとってただのレジャーではなく、家族の絆を感じられる大切なひととき。
今でもその記憶は彼の中に深く刻まれており、親子の強い絆を感じさせます。
👦小学校時代は兄と同じチームで野球
太田椋選手にはお兄さんと妹さんがいます。特にお兄さんとは、幼いころから野球を通じて強い絆が育まれていました。
「子どものころはお兄さんと一緒に野球をやっていました。小学校では同じチームでプレーしていました」
年の近い兄弟だからこそ、同じチームで練習し、時に競い合い、時に励まし合う日々。
兄弟で汗を流す時間が、今の太田椋選手の基礎をつくったのかもしれません。
💪「兄は憧れの存在でした」
幼いころから兄の背中を追い続けていた太田椋選手。
ときには悔しい思いもあったようですが、その経験が今の力強さにつながっています。
「小学生の頃などは、兄のほうが打球も遠くに飛ばしていました。壁というよりは“憧れ”だった気がします」
兄を目標にすることで、自然と努力のエンジンがかかった少年時代。
憧れの存在が身近にいたからこそ、負けず嫌いの闘志が育まれたのでしょう。
👧年の離れた妹さんの存在
太田椋選手には一回りほど年の離れた妹さんもいます。
現在はまだ若く、小学生のころには水泳を習っていたことも。
まだ小さな妹の話をする太田椋選手からは、お兄ちゃんらしい柔らかな表情がうかがえます。
仕事で多忙な中でも、家族のことを大切に思っているのが伝わってきますね。
👨👩👧👦太田家の家族構成まとめ📋
家族構成 | 詳細 |
---|---|
父親 | 太田暁さん(元プロ野球選手/現・オリックス打撃投手) |
母親 | ※詳細非公開(家庭を支える存在) |
兄 | 太田椋選手より年上。野球経験あり、椋選手にとって憧れの存在 |
妹 | 太田椋選手より一回り年下 |
本人 | 太田椋(オリックス・バファローズ所属内野手) |
太田椋選手にとって、家族の存在はかけがえのない原動力。
年末の家族旅行や、兄との練習、妹の成長を見守る優しいまなざしなど、温かく強い絆が彼を支えています。
これからも家族の愛情に背中を押されながら、太田椋選手の活躍が続いていくことでしょう。
最後までご覧頂きありがとうございました。
🥎合わせて読みたい🥎
🥎引用🥎
www.sponichi.co.jp:【2世選手が振り返る】オリックス・太田椋内野手 親子鷹で共闘、今も父・暁氏を尊敬
baseball.fromation.co.jp:オリックス・太田椋選手が父への感謝と夢を語る
note.com:【太田椋選手#3】野球以外ではラグビーをやってみたかった
コメント